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松平正次(玉縄城の歷史)

玉縄城は北条早雲が永正九年(1512年)に三浦氏攻略の足場として築城、その後、北条氏の東相模最大の拠点となりました。

しかし、秀吉の小田原攻め(1590年)の際、当時、城主 北条氏勝が徳川家康の策略により説得を受け、開城しました。

その後、家康家臣の松平正次が家康より屋敷を賜り渡内に住み、玉縄城を守護しました。

1619年、玉縄城は廃城となりますが、正次の子ども達が玉縄藩として治めました。

二伝寺境内にある松平正次一族の墓は、正次の正室他、直系の子孫だけです。