戒法山宝国院二伝寺
永正二年(1505年)初代 玉縄城主、北条氏時の発願により、福原忠重の援助もあり建てられたお寺です。
開山は忍蓮社浄誉正空上人(鎌倉大木山光明寺第十世)、正空は北条時国の子であったために、氏時と同族の正空が招かれて二伝寺の開山上人となったようです。
ですから、二伝寺は鎌倉大木山光明寺の末寺となります。
二伝寺の境内には平安時代・戦国末期~江戸時代の史跡があります。
裏山には、平良文(平将門の叔父)・忠光・忠通ら三代の塚があり、境内には江戸期初めの玉縄領主松平正次一族の墓もあります。
また、浄土宗の高僧幡随意上人は、二伝寺にて出家しています。
鎌倉郡三十三所札所観音の三十二番所でもあり、運慶作と伝えられている聖観音を安置しています。