幡随意白道上人
善行、松本家出身で、二伝寺範誉義順のもと出家した浄土宗の高僧です。
鎌倉光明寺や川越蓮肇寺で内外の典籍を学び、諸国の教化や諸寺の建立に尽力しています。
その後、京都百万遍知恩寺の三十三世に転進し、神田に新知恩寺幡随院を開山します。
そして、晩年には徳川家康の命を受け、キリシタン改宗の為、長崎を中心に北九州地方に下向し教化をされました。
この事は、日本における最初の仏教とキリスト教の対決であり、文化史上究めて意義のある事と思われます。
和歌山県万松寺を建立した後、当地にて亡くなっています。
開山した寺二十三寺、弟子三十五名を数え、伝法に於いても幡随意流伝法をまとめています。