浄土宗 二伝寺のご紹介
村岡の始まりと共に
歴 史
平安中期九〇〇年代、平良文が鎮守将軍として東下りし
鎌倉郡村岡郷に入り村岡城としました。
これが村岡の歴史の始まりだと伝えられています。
二伝寺と村岡・玉縄の歴史
村岡城は歴代城主など不明な点が数多くありますが、現在、城趾公園が二伝寺の南西にあります。
鎌倉幕府成立後の村岡は、鎌倉の北の入りロとして交通の要所となりました。
当時、二伝寺の前は鎌倉街道となっていた為、新田義貞の鎌倉攻めの時などは合戦場となったりもしています。
二伝寺は、開祖が北条(小田原)ですが、良文三代の塚や北条滅亡後の玉縄城主松平正次一 族の墓があるなど、村岡・玉縄周辺の歴史に深く関わっていた事が伺われます。
五〇〇年を超える
時の中で
史 跡
二伝寺の境内から裏山にかけて
平安時代・戦国末期から江戸時代の史跡がります。
本殿には、藤沢市指定重要文化財となる
二尺八寸の木造聖観音坐像が安置されるなど
歴史を身近に知ることができます。
500年を超える歴史が息づく
二伝寺は、福原左衛門忠重が尽力して永正2年(1505年)に、鎌倉光明寺九世正空(北条時国の子)が創建しました。開基は玉縄城主 北条氏時(新編相模国風土記稿)と伝えられています。
二伝寺とは、大本山光明寺に伝わる『本山伝』が紛失した時に、写しの伝書があったので二伝寺になったと伝えられています。
年中行事
緑豊かな頂きに広がる
墓 地
二伝寺の墓地
二伝寺境内の墓地は自然に囲まれ、天気の良い日は暖かな陽射しが降り注ぐ、緑豊かな環境です。
山頂からは、晴れた日に富士山も綺麗に見えます。
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